自己責任という言葉が嫌い
自己責任という言葉を使うときはどんな場面があるんでしょうか。
誰かが失敗をしたとき、病気で動けなくなったとき、取り返しのつかないミスを侵したとき
いろいろあるけど、、
こういうときは誰かが必ず助けてくれるというわけでもありません
しかし必ずといっていいほど聞こえてくる言葉は「自己責任」という言葉。
自分の管理が悪かったから病気になった、
自分のせいで失敗をした
果たしてホントに全部がそうなのかな
色々な人がいる
本当に色々な人がいます。
ハンデをもって生まれる人、精神疾患を患った人、親から愛を受けなかった人。
これら一律で全て自分の責任だ!
と社会は言っているように聞こえます。
障害をもっている方ですら差別を受けたり
します。
特に精神疾患をもっていると見た目にはわかりずらい「生き辛さ」があると思います。
表面的な見た目ではいわゆる「普通」の人たちと同じなのでその「普通」ができなかったときに普通の人は「なぜこんなことができない!」と憤るわけです。
でも日本には手厚い社会保障があるじゃないか
その通りです。
障害を持ったら障害者の手当てがあり
働けなくなったら生活保護があります。
つまり日本では働かなくても、働くことができなくても生きていけるんです。
こんな国はなかなか世界でもないです。
じゃあなんで自己責任なの?
日本人は嫉妬をするから
多くの日本人は真面目に働きます
そして日本にはほとんど日本人しかいないのでみんなで同じ行動をとります。
それがさっき言ったいわゆる「普通」です。
この「普通」ができない人たちは障害者であろと精神疾患をもっていようと自己責任の一言で終了します。
今の日本には多様性や個性を大事にするといった上辺の言葉たちが溢れていてあたかも時代は変わったかのようですが、実際は変わっていません。
上の世代たちが我慢して続けてきた「普通」を押しつけたいんです。
だって若いやつらが我慢してないのムカつくよね
ってのが本音になるはずです。
その気持ちもわからなくもないですが
特に日本人のこの嫉妬の感情というのは本当に醜い感情だと思います。
世界でも類を見ないほど恵まれている国では普通でいられない人間は生きた心地がしないのです。
恵まれてるのに生きた心地がしないって矛盾してますよね。
つまり本当の意味での「多様性」を認めろ
と言いたいですね。
私が言いたいところはそんなとこです。